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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和32年(う)222号 判決

控訴人 被告人 二宮直熊

検察官 円藤正秀

主文

本件控訴を棄却する。

理由

主任弁護人小倉庄八の控訴趣意は、同弁護人作成名義にかかる控訴趣意書記載のとおりであるから、ここに、右記載を引用する。

控訴趣意第一点について。

弁護士法第七三条には「何人も、他人の権利を譲り受けて、訴訟、調停、和解その他の手段によつて、その権利の実行をすることを業とすることができない」旨規定されている。それで、同条の規定による禁止は、所論のとおり、他人の権利を譲り受け、訴訟、調停、和解その他の手段によつて権利の実行をすること自体を業とする場合は勿論のこと、その権利の譲り受け以前に、譲受人が譲渡人に対し債権を有し、その弁済に代えて債権を譲り受ける場合でも訴訟、調停、和解その他の手段によつて実行することを目的として譲り受け、しかして、訴訟、調停、和解その他の手段によつて、その権利の実行をすることを繰り返して行う場合をも包含するものと解するのが相当である。けだし、所論の弁済に代えて債権を譲り受ける場合は、一般の権利の譲り受けの場合と、その本質においてさして相異があるものとは認められないし、債権者は殊更、自分の債権の弁済に代えて債権を譲り受けなくても、自分の債権の満足を得るためには、債権差押その他の方法による権利の実行が容易であるから、債権者の権利は優に保護され、その権利を害されるおそれのないことは多言を要しないところである。しかして、元来、弁護士は同法第三条により、当事者その他の関係人の依頼又は官公署の委嘱によつて、訴訟事件、非訟事件及び訴願、審判の請求、異議の申立等行政庁に対する不服申立事件に関する行為その他一般の法律事務を行うことを職務とするもので、弁護士でないものは、法令に基く場合の外右掲記の法律事務の取扱は禁止されているところである。してみると、所論事由によつて債権を譲り受け、訴訟、調停、和解その他の手段によつて、その権利の実行をすることを業とすることを許容すれば、あえて、脱法行為を認めることになり、法律事務の取扱に関する取締規定は結局空文化され、弁護士法制定の趣旨も没却されるおそれがある。それで、所論事由により債権を譲り受け訴訟、調停、和解その他の手段によつて権利を実行することを業とする場合おも、同法第七三条の規定により禁止されているところであるといわなくてはならない。

そこで、今、本件についてこれをみるに、原判示第一乃至第七掲記の各事実につき、原判決の挙示している証拠を綜合すれば、被告人の原判示各債権は原判示各債権者からその権利を譲り受けたものであることが明らかである。しかして、前掲証拠によれば、原判示第一乃至第五掲記の被告人の各債権の譲り受けは、被告人の各譲渡人に対する債権の発生前に、それぞれ譲り受けたものであり、また、被告人は原判示第六掲記の平田木工企業組合に対しては、所論のような債権を有していなかつた事実は原判決認定のとおりであることが認められるばかりでなく、仮りに、被告人の原判示各債権者に対する債権の発生が、所論のとおり各債権者の原判示債権譲渡以前であつたとしても、被告人が原判示各債権を譲り受けたのは、一は訴訟等により権利の実行をすることを目的としてなされたものであり、しかも、被告人は原判決認定のとおりの訴訟及び不動産競売申立等の手段によつて、業として権利の実行をしたいきさつが認められるから、本件犯罪の成立すること前説示するところにより、多言を要しないところである。されば論旨は採用するに由ない。

同第二点について。

しかし、訴訟記録及び原審において取り調べた証拠にあらわれた事実を綜合し、被告人の経歴、性格、年令、職業、資産収入の関係、本件犯行の動機及び回数その他諸般の情状を勘案すれば、被告人に対する原判決の量刑は、その犯情に照らし、さまで、不当に重きに失するきらいがあるものとは認められないから、論旨は理由がない。

されば、刑事訴訟法第三九六条に基いて、本件控訴を棄却する。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山下辰夫 裁判官 二見虎雄 裁判官 後藤寛治)

弁護人小倉庄八の控訴趣意

第一点事実誤認 一、原判決は公訴事実の全部を認め、被告人に有罪の云渡をした。しかし弁護士法第七三条に「何人も、他人の権利を譲り受けて、訴訟その他の手段によつて、その権利の実行をすることを業とすることができない」というのは、被告人が「他人の権利を譲り受け、訴訟の手段により、その権利の実行をすることを業とする者」であり、且つその「業」として本件買受け行為がなされたものと認められることが必要である。(昭和二五年一一月二八日最高判決)しかして、その認定を受けるには、その権利を譲り受け且つその権利を実行することが、それ自体を目的としてなされたものであることを要すると解する。従つて、或る債権を譲り受けたものが、債権を譲渡したものに対し、その譲り受け以前に、債権を有し、その弁済に代えて債権の譲渡を受け、訴訟の手段により権利の実行をするが如きは仮に斯る事例が数回に亘つて行はれている場合であつても、弁護士法第七三条に禁止するところではないといわなければならない。なんとなれば、自己の債権の弁済を受けることは法の認めた当然の権利であつて、若し、斯くの如き弁済を受けることが出来ないとすれば、権利の実行は不可能となるからである。

二、しかるに、原判決は原審における弁護人の右の如き主張に対し「被告人が権利を譲り受ける以前に、その主張のような債権を有していたことを認めることはできないから、これを前提とする右の見解は失当である」と判示した。しかし

1、判示一の事実について 証人小倉正重の証言によれば、被告人が小倉正重から千代森光雄振出の約束手形の裏書譲渡を受ける前に、小倉正重に対し債権を有していた事実及小倉正重が代物弁済として右手形を譲渡した事実が認められる。しかるに、原判決は判決謄本(原告、被告人被告千代森)にある右約束手形の譲渡の日が昭和二十七年九月三十日となつていることからして、証人小倉正重の証言が偽りであつて信用し難いと判示したが、被告人がこの約束手形を真実譲り受けたのは昭和二十八年九月頃であつて、当時譲渡の日を約一年位遡らしたものである。これは訴訟提起の時期から判断しても明らかである。(この点控訴審において証人山下喜三郎により立証する)

2、判示二の事実について 宮崎地方裁判所都城支部昭和二十七年(ワ)第七六号民事記録中の鈴木正一の証言によれば被告人は偶々鈴木正一に対し債権を有しこれを弁済しない同人から代物弁済として金十万円の譲渡を受けた事実及この鈴木正一に対する債権は十万円の債権譲渡より約十ケ月位前のものであつた事実が認められる。

3、判示三の事実について 証人山下重盛の証言によれば、同人は数年前から被告人に借金があり、それが三万円以上になつていた事実及その後同人が被告人に対し代物弁済として同人の平部ツルに対する貸金三万円の債権の譲渡を受けた事実が認められる。原判決は同証人の証言が極めてあいまいであつて信用できないと判示したが、これは独断である。

4、判示四の事実について 被告人が臼杵実秋から代物弁済として同人の田中正雄に対する貸金債権の譲渡を受けたのは昭和二十九年六月である。この事実は証拠上明白である。

臼杵実秋が横山則久から宅地を十五万円で買受ける契約をしたのが昭和二十九年二月であり、その金を払い終つてその所有権移転登記をしたのは同年八月末であることは証人臼杵実秋の証言で明らかである。証人臼杵の証言中後で「昭和二十九年七月頃横山則久から宅地を買つた……」という記載があるが、これは、明らかに昭和二十九年七月頃の誤記である。証人臼杵は検察官の取調以来一貫して昭和二十九年二月と供述していることでも明瞭である被告人が臼杵実秋に金三万五千円を貸与したのは何時かが問題になるが被告人の検察官に対する供述調書によれば「私は臼杵から債権を譲り受ける少し前に、同人に二口で合計三万円位貸していた」とあり、証人臼杵の証言によれば「宅地を買つた契約後三ケ月位して二宮直熊から三万五千円借りた」とあるので、被告人が臼杵に金を貸したのは昭和二十九年五月頃と認められる。既に関係書類もなくした被告人や臼杵が数年前のことを明確に記憶している筈がない。況んや老人である。原判決はこの点についていうことがはつきりしないとか疑問があるとか、信用ができないときめつけているがこれは人間に対して神の能力を要求しているものである。結論として被告人が臼杵から債権を譲り受ける前に同人に対し既存の債権を有していたことは証拠上十分認め得る。

5、判示五の事実について 被告人が金員を貸した相手が平田広海であつたか、又は平田木工企業組合であつたか疑問があるか、被告人は平田個人に貸したつもりでいたのを平田の方では組合で借り受けたように処理したのかも知れない。小さい同族の組合のことではあるし、普通ありがちなことである。しかし、本件についてはこの点はさして問題にならない。

被告人が平田広海(平田木工企業組合以下同じ)から代物弁済として同人の梅田哲盛に対する建具工事代金三万五千円の債権の譲渡を受けたのは昭和二十九年八月七日である。この事実は証拠上明白である。平田広海が梅田哲盛の建具工事を七万円で請負つたのは昭和二十九年四、五月頃であることは平田広海の検察官に対する供述調書の記載及同人の証言によつて明白である。被告人が平田広海に対して金五万円(この五万円は後に一万五千円の弁済を受けて、残額が三万五千円になつている)を貸したのは昭和二十九年三月頃である。この事実は被告人の検察官に対する供述調書、平田広海の検察官に対する供述調書の各供述記載、証人平田広海の証言で明白である。原判決は右証拠中の形式的な些末な不符合の点を捉えて債権額、弁済方法、証書の有無についても供述にくいちがいがある(それで措信できないという趣旨であろう)と判示した。しかし、これはあくまで形式的なものの見方であるというべきである。なるほど被告人には判示の如く平田広海に貸した金は三万五千円位である。借用証書は受取つていない。梅田哲盛に対して建具代の取り前があるからそれが取れたら返すといつていたとの供述記載があるが、これは平田広海に金員を貸した当初からの事情が全部述べられていないのである。被告人が譲り受けた三万五千円の訴訟を遂行したことを中心として述べているためにこのような供述が出たのであつて、決して平田広海の供述とくいちがいがある訳ではない。最初の五万円から弁済を受けた一万五千円を差引いた三万五千円を当初貸与したように訴訟を起しているので本件でもそのまま、三万五千円と述べているのであるし、五万円については借用証書があつたが三万五千円についてはそれがなかつたので証書はないと述べたのである。又建具代で返すというのは何も当初の五万円のことではなく、残金の三万五千円であることは前後の事情から当然首肯し得られる結論として被告人が平田広海から債権を譲り受ける前に、同人に対し、既存の債権を有していたことは証拠上明白である。

6、判示六の事実について 被告人が金を貸した相手方が平田広海であるが、平田木工であるかは本件においてはさして問題にならないこと前述の通りである被告人の供述、証人平田の証言によれば昭和二十九年六月頃、被告人が平田広海(平田木工企業組合以下同じ)に対し金三万円を貸与した事実は明らかである。被告人が平田広海から同人の東口光男に対する売掛代金四万五百七十五円の債権を譲り受けたのは昭和二十九年八月二十五日である。

原判決は前述のように、右の如き貸借関係の相手方が明瞭にしてないことを理由に、「被告人が平田木工企業組合に対してその主張のような債権を有していたものでない」と判示したが、平田木工企業組合は全く有名無実の平田の同族組合であつて、その区別は常に明確にしてあつたものでないことは前述の通りであつて、この一事によつて、被告人が平田広海に貸金はあつたかも知れないが、平田木工には貸金はなかつたものであるとの論理をそのまま適用することは正しくないというべきである。

以上説示の如く、原判決には事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかで破棄を免れないと信ずる。

第二点量刑不当 原判決は被告人を罰金五万円に処した。しかし

1、右罰金は弁護士法第七三条違反の最高の罰金刑である。2、判決自体により明らかなように少しも暴利を得ていないばかりでなく、損をしているものもある。3、被告人は齢七十六才で最高の刑は酷である。4、現在改悛の情顕著で再犯の虞はない。5、平田広海の証言にもあるように、非常に人の面倒をよく見てやり所謂悪人ではない等の諸般の情状を斟酌する時は右罰金は著しく酷に失すると信ずる。

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